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宇都宮・清厳寺 大鉄塔婆について [旅行、趣味]

 先に紹介した 興禅寺 から南の方向へ徒歩で10分位、田川の御幸橋を渡ると間もなく、信号・変則三叉路があります。

右側の「清巌寺通り」を行くと50メートル位先右側に浄土宗の寺・清巌寺があります。

清厳寺門.jpg

ここには、興禅寺開基・宇都宮貞綱公が建立した大鉄塔婆があります。  (国指定重要文化財・明治44年8月9日指定)

この鉄塔婆は、貞綱公が母の13回忌供養のため、父景綱と母の墓がある東勝寺に建立したもの。  (東勝寺は日野町バンバ広場の西側にあったが1597年の宇都宮氏の滅亡により廃寺となった。)

高さ 3.3m   横幅 30㎝  厚さ 6.6㎝   

正面上部に阿弥陀如来の種子である梵字キリク、その下に阿弥陀仏のお姿と左右に観音菩薩、勢至菩薩が半浮彫りにされており、下部に90字の願文があり、母の菩提を祈る言葉が記されているそうです。

鉄塔婆.jpg

「 この鉄塔婆は、鎌倉時代の正和元年(1312)の8月に、宇都宮8代城主貞綱が亡き母の13回忌供養のために建立したといわれる。

 塔婆の上部には阿弥陀を表す梵字と阿弥陀三尊の浮彫りがあり下部には90字の願文がある。   我が国最古であり、かつ唯一の鋳鉄製の大塔婆であることから当時の宇都宮氏の政治、経済的な力ばかりでなく文化的・宗教的な水準の高さを示している貴重な資料である。」 と記されています。

IMG_0720.JPG

この中に収蔵されています。拝観できます。 

 

鉄塔婆収蔵庫.jpg

また、貞綱公は、梵鐘の献納も発願し、その梵鐘が、いまも市内宝蔵寺に残っていますが、その梵鐘、およりの鐘は次回に紹介します。

 

それとは別にこの清巌寺に、銅の梵鐘があります。江戸時代・万治3年(1660)に造られた鐘があったが火災により破損、寛延4年(1751)宇都宮の鋳物師に鋳造させたものがこれで、口径に比べて鐘身がやや高くすんなりとした形が美しい。又、市内で最も美しい音色だったので、第二次世界大戦中の供出から免れたといわれているそうです。

銅鐘.jpg

 

 


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旅爺さん

れもんさんも社寺仏閣巡りがお好きなんですね。
爺も好きですが宇都宮の東方面しか行ってないですね。
そのうち涼しくなったら駅西の方面も荒らしに行かないと。笑
by 旅爺さん (2010-08-30 10:15) 

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