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文学の町再発見① [宇都宮]

1月11日 宇都宮市錦地域コミュニティセンター主催の「新春の神社仏閣めぐり~うつのみや文学の町再発見~に参加しました。

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講師は小林暁雲さん、宇都宮ぶらぶらマップ(上の2冊)を作った方。市内中心部の神社仏閣を文学の面から焦点をあてて散策するというものでした。《小林さんのブログ「宇都宮発見」で検索してみて下さい。宇都宮のことがよくわかりすばらしいです。》

街中散歩しながらこれまでに所々見知ってはいましたが、お話を聞きながら歩いてみるとまた新しいことを知ったり宇都宮をもっと誇ってみても良いよね・・と思ったりしました。

最初は八坂神社。八坂神社の御神体は須佐之男尊(すさのおのみこと)、1063年宇都宮城築城の際に鬼門除けとして創始された神明宮と南の方(博労町)にあった八坂神社が明治43年合祀され八坂神社と改称したもので奥州街道の入口にあたります。

博労町には国重要文化財指定の篠原家住宅がありますが、宇都宮空襲の時、八坂神社から南で残ったのは篠原家の蔵造りのみ他は焼け野原、神社の神楽殿の天井の柱も南半分は黒こげとなっているそうで、神社は境内南端にたっているイチョウと製氷工場があったので焼けなかったのだそう。

博労町の篠原家住宅の前をとおり~今日1月11日は上河原の初市(だるま市)でちょうど通りかかったときは露天の準備の最中でした。

田川にかかる御幸橋の手前で江戸時代の宇都宮城下の地図を広げて~最後にいく興禅寺の南大門がここにあった・・ずいぶん広い・・次に行く清巌寺も広大で城下を囲む寺がいざというときは防衛の前線となったという話に驚きました。

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清巌寺通りを入り宇都宮5代頼綱(蓮生)が開基の清巌寺へ。005.JPG

鎌倉時代の宇都宮氏は有力な御家人で財力もあったことの証ともなると思う大鉄塔婆があります。

以前の記事の鉄塔婆http://tokutarou.blog.so-net.ne.jp/2010-08-28/

が、今日見たのは頼綱の供養塔です。宇都宮頼綱は鎌倉幕府からむほんの疑いをかけられた時、すぐさま剃髪し、その後「蓮生」と名のり法然の弟子となってしまいます。このとき16人の家来も一緒に剃髪し、京都にくらします。昨年12月に京都の三鈷寺を訪ね、蓮生さんのお墓に参ってきましたが(これについては次回紹介予定)、蓮生入道を中心とする宇都宮歌壇は、京都歌壇、鎌倉歌壇と並ぶ勢いのあるものでした。小倉百人一首のはじまりは蓮生と藤原定家の交流にあったといわれています。

頂部が三角の供養碑に実信房蓮生法師と刻まれています。

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次に行ったのが正福寺。ここには蕪村の句碑がありました。

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蕪村がそれまでの名、宰鳥から蕪村と初めて名のったのは宇都宮での句会の時からというのは余り知られていないかも知れません。

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大通りに出て二荒山神社(ふたあらやま)へ向かいました。ここにもその宰鳥(蕪村)の句碑があります。

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二荒山神社で休憩となりました。ので、私もちょっと休憩することにして続きは次回に・・

 

 


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コメント 3

旅爺さん

尋ね歩いて見るといろんな名所があるものですね。
篠原家住宅は何度も外からは見てますが、中はまだなんです。
爺は二宮金次郎や水戸の千姫の墓に角さんの居住跡などは見てます。
by 旅爺さん (2013-01-12 05:21) 

はなちゃん104M

清巌寺は私の地域と縁がありそうです。
篠原家住宅の前を通りながら、由緒のありそうな建物、と
思っていました。
by はなちゃん104M (2013-01-12 15:14) 

れもん

旅爺さん 今度水戸の方に行ったときは訪ねてみます。

はなちゃん104Mさん 清巌寺についてはそうなんですよ。私も京都のお寺、三鈷寺できいて驚きました。
by れもん (2013-01-13 13:52) 

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