SSブログ

会津ころり観音 [福島県]

先日、会津のころり観音に参詣してきました。

ころり観音は3ヶ所ありますが、行ったのはそのうちの2ヶ所ですが、最初の中山寺に参る前に、同じ会津美里町内の伊佐須美神社に寄りました。

伊佐須美神社は岩代の国一ノ宮、会津の総鎮守として2千年の歴史を誇り、強運、方除、商売繁盛、豊作祈願や厄除け開運等の御利益があります。

大きなあかい鳥居に菊の御紋が輝いていました。


神門 ↓


御朱印帳を持参していなかったので御朱印をいただくことはできませんでした。


会津ころり三観音の一つ、普門山弘安寺中田観音は、会津美里町米田にあります。文永11年(1274)に造られた本尊の十一面観音は日ぎり、縁結び、安産の御利益があるそうで、野口英世の母シカが息子英世の火傷治療と立身出世祈願のために月まいりしたことでも有名です。素朴な感じのお寺です。堂内につるつるになっただきつき柱がありました。信心の人が抱きついて祈願すれば念願かなうとされています。丁寧に御朱印帳を書いて下さいました。

 

会津はちょうど実りの時期を迎えていました。田園風景の中を走っていると、ずっしりと重い稲穂の匂いが窓から入ってきたり、次の会津坂下の立木観音に向かう途中ではそば畑の白い花が綺麗でした。道端では桃や梨、ブドウなどうっていました。

次に向かったのは会津坂下(ばんげと呼びます)塔寺の金塔山惠隆寺立木観音です。御本尊は千手観音で、大同3年(808)に弘法大師が根が付いた巨木に彫刻したと伝えられています。観音の像高は7.4m、総高8.5mで立木物としては日本最大級、国の重要文化財に指定されています。

山門 ↓



正面にある観音堂は鎌倉時代の和様式建築で国の重文指定です。寄棟造の茅葺の屋根が重厚な趣です。


拝観料300円で堂の中に入りました。観音堂の建て方は先ず観音像を造ったあとにお堂を建てており、観音像の大きさに対して天井が低く、本尊の両脇には二十八部衆が配置されていますが、仏像の多さに対しても狭く窮屈に祀られています。上の方には風神雷神の像が置かれています。

仏像が余りに大きいので厨子や宮殿の中に祀って扉を付けることが出来ないので、扉のかわりに斗帳(とちょう)という大きな垂れ幕を掛けていますので、仏像はお堂の外からはみえません。堂内に入ってこの斗帳の内側に入って重文の仏像を間近で参拝することになります。


会津のお寺では幕を仏像の前にかけておくのが多く見られるそうで、古くから必要以上にお堂を開けることがなかったことや大きな斗帳で覆われ守られていたことから、時代経過による剥落があるものの仏像は比較的綺麗な状態です。

こちらを訪れたときにはぜひ堂内での参拝がおすすめです。


もう一つの会津ころり観音は西会津町野沢の鳥追観音ですが、そこは次の機会に行こうと思い今回は行ってません。

ころり三観音巡りの教えるところは観音を参ることによって仏の慈悲で邪心な欲、怒りの心、不平不満の心を消し去ることができ心に安らぎが宿り、健康に恵まれ、長寿を全うして、やがては病に伏すことなく大往生が出来るという教えです。





nice!(49) 
共通テーマ:旅行

会津鶴ヶ城と茶室鱗閣 [福島県]

会津地方は戊辰戦争終結、今年150周年です。

会津鶴ヶ城天守閣です。


城内に茶室があります。利休の自刃の後、利休の茶の湯が断絶するのを恐れた、会津藩主蒲生氏郷が利休の子・少庵を会津に招き、家康と共に秀吉に取りなしました。秀吉の怒りが解け京に戻った少庵は千家を再興しましたが、その時に少庵が氏郷のために造ったという茶室麟閣が移築されています。

明治7年に鶴ヶ城が解体されるときに市内の茶道家・森川氏が政府に願い出て自宅に移築していましたが、平成2年に元の場所に復元移築されたものです。


待ち合い(ここで茶会参加者は身支度を整えたりして待ちます)


中門(茶室露地へと進みます)


腰掛け待ち合い(亭主の迎えを待ちます)


つくばい(茶室に入る前に手と口を清めます)


茶室・にじり口(ここから身をくぐめて入ります)



麟閣の扁額



麟閣の中庭ではお茶をいただくことができます。抹茶と和菓子セットで600円です)。


麟閣の門前から見た天守閣。赤瓦の美しい姿です。


nice!(45) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。