小砂焼を見てきました(朱雀窯・白磁) [やきもの・陶磁器]
国山窯のすぐ隣に朱雀窯があります。朱雀窯は白磁の作品を製作しています。作者は荻原毅久さんです。
こちらでもお断りして写真を撮らせてもらいました。
れもんの味のババロアとおいしいお茶で接待して下さいました。
店内の写真が上手にとれませんでした。イメージを損なってしまっては、朱雀窯さんに申し訳ないのでここに載せないことにします。荻原毅久さんのホームページで素敵な作品群が見られます。
帰り際、荻原さん御本人とお会いしました。柔和なやさしいお人柄と感じました。
私の持っている荻原さんの作品です。
下の写真は、荻原さんが師事したとの瀧田項一氏の作品です。
こちらでもお断りして写真を撮らせてもらいました。
れもんの味のババロアとおいしいお茶で接待して下さいました。
店内の写真が上手にとれませんでした。イメージを損なってしまっては、朱雀窯さんに申し訳ないのでここに載せないことにします。荻原毅久さんのホームページで素敵な作品群が見られます。
帰り際、荻原さん御本人とお会いしました。柔和なやさしいお人柄と感じました。
私の持っている荻原さんの作品です。
下の写真は、荻原さんが師事したとの瀧田項一氏の作品です。
タグ:やきもの、白磁、小砂
小砂焼を見てきました(国山窯・青磁) [やきもの・陶磁器]
栃木県東部に位置する那珂川町に小砂という村里があり、そこで「小砂焼」と呼ばれるやきものが作られています。6月2日(水)に、小砂焼を購入するため行ってきました。田植えがすんで水が張られた田んぼもその周りを囲む里山もすっかり緑の色が濃くなって爽やかな風がそよいでいました。
小砂焼は1830年(天保元年)水戸藩の第9代藩主徳川斉昭が殖産振興の目的で調査させここに良質な陶土が発見されたことから発展したやきもので、現在数軒の窯元がそれぞれ特徴のあるものを製作しています。
昔から知られているのは金色の肌あいの陶器です(次の写真を参照して下さい。昭和49年市川窯で購入した水指と抹茶碗です)。
今回訪ねたのはこれとは別の青磁・白磁を焼いている国山窯とすぐ隣接する白磁をつくっている朱雀窯です。 同行者は、昭和43年同期入社の仲間です。 数年前から長く同じ職場で苦労を分かち合ったどうしが年に一度食事会をしていますが、Y・Nさんの発案で、その年に退職した人に記念品を贈ってきました。昭和43年に新卒で入社した人も何年か社会経験を積んだ人も合わせて160余名入社、うち女性は26名、結婚等で早期退職した方達をのぞいて現在17名が永年勤続の仲間です。今年はその最後の退職者9名の記念品を求めて、小砂青磁の国山窯に行きました。 下の写真は、私が2年前にいただいたものです。少しずつ模様は違っていても同じ形のお皿を17名全員がもつことになりました。温かい気持ちで、使わせていただいています。 国山窯は、主に青磁と、近在の草花を描いた白磁を製作しています。
国山窯は、やきものの歴史の博物館(窯業史博物館)を併設し、古陶器等のコレクションが展示されていたり、裏山に古代窯が復元されています。
小砂焼は1830年(天保元年)水戸藩の第9代藩主徳川斉昭が殖産振興の目的で調査させここに良質な陶土が発見されたことから発展したやきもので、現在数軒の窯元がそれぞれ特徴のあるものを製作しています。
昔から知られているのは金色の肌あいの陶器です(次の写真を参照して下さい。昭和49年市川窯で購入した水指と抹茶碗です)。
今回訪ねたのはこれとは別の青磁・白磁を焼いている国山窯とすぐ隣接する白磁をつくっている朱雀窯です。 同行者は、昭和43年同期入社の仲間です。 数年前から長く同じ職場で苦労を分かち合ったどうしが年に一度食事会をしていますが、Y・Nさんの発案で、その年に退職した人に記念品を贈ってきました。昭和43年に新卒で入社した人も何年か社会経験を積んだ人も合わせて160余名入社、うち女性は26名、結婚等で早期退職した方達をのぞいて現在17名が永年勤続の仲間です。今年はその最後の退職者9名の記念品を求めて、小砂青磁の国山窯に行きました。 下の写真は、私が2年前にいただいたものです。少しずつ模様は違っていても同じ形のお皿を17名全員がもつことになりました。温かい気持ちで、使わせていただいています。 国山窯は、主に青磁と、近在の草花を描いた白磁を製作しています。
国山窯は、やきものの歴史の博物館(窯業史博物館)を併設し、古陶器等のコレクションが展示されていたり、裏山に古代窯が復元されています。