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宝物再発見の旅③日光東照宮御仮殿など [日光]

四本龍寺三重塔から明治の館の前を通って東照宮方面へ向かいます。

明治の館  蓄音器を日本に最初に紹介したアメリカの貿易商の別荘とした建てられれ現在はレストランになっています。

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東照宮駐車場の一角に「甲良豊後守宗広像」があります。寛永11年(1634)から本造営の幕府作事方大棟梁をつとめた人物で、京都奈良の寺社建築で培われた技能を持った多くの職人が甲良町から呼び寄せられ造営に従事したとのことから、昭和52年に日光と甲良町との姉妹都市盟約の記念として建立されました。

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駐車場から階段を上っていくと東照宮御仮殿があります。

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御仮殿は東照宮本社を修理する際に御祭神を移してお祭りする御殿で現在の建物は寛永16年の建立。仮殿が常設されているのは全国の寺社のなかでも東照宮だけです。

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御本社と同じ作りになっていて普段は中に入ることはできませんがこの日は年2回だけの特別公開の日で社殿の中に入り見学することができました。

日光東照宮には毎年、例大祭の前に市民等による栗石返しという行事があります。主な社殿の回りは栗石と呼ばれる堅い石が敷き詰められていて、この栗石が敷かれていることから建物の周囲に湿気がこもらない作用がありこういう工夫が社殿の保護に役立っているようです。

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御仮殿の横に宝物の供養塔というのがありました。火災にあった時に燃えてしまった宝物を供養したとのこと。

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東照宮陽明門の中には入らずに(現在は修理中)次の場所へ。五重の塔の後をとおり二荒山神社のほうへ行く途中、左手の公園の中に保晃会碑 がたっています。

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戊辰戦争の後幕府の庇護を失い経済的にも困窮した東照宮をささえようと働いた人々がたくさんいました。その中心となって活動した中に勝海舟がいて、この碑は勝海舟の書によるものです。会津藩主であった松平容保公は明治15年に第5代東照宮宮司となり保晃会の初代会長となりました。

 

(おまけ)来年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛そうですが東照宮の石の大鳥居はその子であり九州筑前藩主の黒田長政が元和4年(1618)奉納したものです。

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九州から船で運び、小山の乙女河岸からは陸路により運んだということです。         (石の大鳥居とそのそばの燈籠。  苔がきれいだったので ↓   )

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これで今回の日光への日帰りの旅は終わりです。重要な場所でありながら普段は見落としてしまいがちな所を見学するというのが目的でしたから結果的に二社一寺の拝観料のいらない場所ばかり巡る旅になりました。何度もいっている日光ですがまさに宝物の再発見という感じでおもしろかったです。

 

 

 

 

 

 

 


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宝物再発見の旅②奈良・平安時代の日光 [日光]

しばらく間があいてしまいましたが、前回の続きです。

金谷ホテルでの昼食。

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前記事でhana2013さんがコメントして下さったとおり外国人専用のホテルとして開業された金谷ホテルには外国人を喜ばせる仕掛けがいろいろ工夫されていました。例えば、眠り猫の彫刻も廊下の欄間に飾られていたりします。 

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ダイニングルーム。ここで食事。

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メイン料理はビーフシチューもしくはヤシオマスのグリル。スープ、サラダ、パン、食後にデザートと珈琲(紅茶)で3,500円。いいランチタイムを過しました。

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今回のテーマは奈良・平安時代の聖地、日光です。その最初は岩裂神社(通称・星の宮)。日光開山の祖・勝道上人が7歳の時に明星天子が夢に現れて僧侶となり日光を開山するようにと言われたということですからその明星天子を祀ったこの星の宮が日光の聖地としてのスタートです。

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この下の方、神橋方向に向かって左側に板垣退助の像が建っている。戊辰戦争時に旧幕府軍の大鳥啓介が日光山内に立てこもったとき、板垣退助は日光が戦火にあわないよう大鳥啓介をひかせたことから日光を救った恩人であるとして昭和4年に建立された。ちなみにその反対側には天海僧正の像がたっている(昭和51年建立)。

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大谷川(だいやがわ)にかかる神橋

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神橋を渡ってすぐに、深沙王堂があります。勝道上人が大谷川をどうしても渡ることが出来ないでいた時に深沙王が現れて二匹の大蛇を放すと橋となり川を渡ることができた。そのおかげで原生林を切り開き男体山の頂上へ達することができたというその深沙王を祀っているところです。深沙王はインドの神で日本では毘沙門天にあたります。

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次に向かったのは本宮神社。深沙王堂のすぐ横(世界遺産の標示がある日光山正面入口)の右手の細い石段を上っていくと本宮神社。二荒山の神を最初に祀ったところで、今は二荒山神社の別宮。

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建物はなくなってしまったが境内に勝道上人笈懸けの石というのがあります。 

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続いて四本龍寺。紫雲石。

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「ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人がある日礼拝をささげた折、この石の廻りから紫の雲を見たということから、紫雲石とよばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂と三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良・平安時代の日光の中心地であった。」と説明板がありました。

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四本龍寺の護摩壇跡。古い形の護摩壇は建物の外にあった。

 

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四本龍寺三重の塔観音堂

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四本龍寺観音堂↓ 日光山内唯一の白木造りで雨上がりの空に清々しい気配がありました。

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観音堂の前にたっている庚申塔。日光様式(上部が三角形、太陽と月、猿が向かいあっている)。

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一人か二人がやっと並んで歩ける程の細い石段で緑の苔に覆われた石垣が美しかったです。

 

(続きます)

 


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宝物再発見の旅①日光街道 [日光]

 先週11日に地域のコミュニティセンターの館外学習~世界遺産「日光」再発見の旅~に参加しました。講師は旅行研究家の橋壁義雄先生。価値がありながら通常見落としがちなものを選んで見学するというものでした。教えていただいたことを振り返ってみると①日光街道(国道119号線)の一里塚と杉並木②江戸期以前の聖地で会った日光、奈良・平安時代の密教のこと③東照宮の特別の位置ということでしょうか。まさしく宝物再発見の旅でした。

奥州街道からわかれて宇都宮市内から日光街道へと入り最初に見学したのが上戸祭一里塚。お江戸日本橋から28番目にあたる(江戸から112㎞)。文星芸大のすぐ近くです。

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日光街道には一里塚が非常に良く残されているということ、この後も29番目、30番目というように4㎞毎に車窓から見ながら行きました。

途中、徳次郎町では智賀津神社という地元の鎮守や、地元青年団が戦後の昭和20年代に山桜等街道に植樹したことの記念碑「日光街道植樹記念碑」等見ながら行きましたが、こちらは後日訪ねてみようと思っています。

日光杉並木は、全長37キロメートル。国の特別史跡、特別天然記念物の二重の指定を受けています。その起点は4か所あります。神橋を起点として、日光街道(国道119号)は大沢、例幣使街道(国道352号)は小倉、会津西街道(国道121号)は大桑の三か所の総延長が37㎞、世界一長い並木としてギネスブックにものっています。

今回はその大沢の杉並木に入る地点に下車して見学しました。寛永2年(1625)頃から20年の歳月をかけて川越城主の松平正綱が家康の33回忌の年にあわせて寄進したことが記されている。正綱は完成する直前になくなったのでその子正信が慶安元年(1648)これを建立したものです。国道ですが杉並木は東照宮の所有です。

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杉は今市に育苗用の畑を作り20万本の苗を育てた中から立派なものだけ2万本(あるいは3万?)ほど選んで植栽したとか。現在は12,500本程が残っています。(杉並木の絵がないのが申し訳ないです・・)

そうこうしているうちにJR日光駅前に到着です。明治23年建築。当時の皇太子、大正天皇が田母沢御用邸で静養なさったことや外交官の避暑地となっていたことから早い時期に建設されたようで、駅舎向かって左側には貴賓室があります。

 

 

 

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駅改札口天井に鳴龍があります。

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2階に上がると今は市民に貸し出しもされているホールがあります。戦後の一時期には進駐軍の兵士たちがここでダンスを楽しんだのだそうです。

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金谷ホテルで昼食をとって、午後からまた見学ですが、日光杉並木の神橋の所に寄進の碑があります。こちらは他の3か所より少し大きい。

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杉並木の保存は大変です。このため(財)日光杉並木保護財団が設立されていて、「日光杉並木オーナー制度」だあります。杉を1本購入してもらいその代金を日光杉並木街道保護基金として栃木県が運用し、運用益を財団に交付し、樹勢回復事業などの保護活動に役立てています。(※オーナーが自由に杉を伐採、売却はできません)

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他にも「杉の並木守(日光杉並木街道保護ボランティア)」等、杉並木の保護活動が行われています。

 

 


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輪王寺 [日光]

1月2日  日光へ初詣  

JR日光駅です。バスで二社一寺へ。

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東照宮五重の塔の横を通って

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二荒山神社へ

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御神木。樹齢700年。二荒山神社本殿のすぐ後ろにある。

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いつものように、御神水のそばの茶店で甘酒をいただいて、輪王寺へ。

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輪王寺護摩堂には不動明王を中心に五大明王とそれを守る十二天の一群と七福神とが同じ空間に安置されている。

正月の七福神詣りが行われそこにいた皆さんと一緒に「福よ来い来い、福よ来い~~」等と歌ってしあわせな気分を楽しんできました。

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11時からの護摩修法に参加して身体健全を祈願した後、金堂(三仏堂)の方にまわって堂内拝観。現在、お堂は修復中で完了は2020年までかかる。

当初の計画と違って実際に修復していくうちに損傷の程度が甚だしいことがわかり大々的に修復することになった。御本尊(千手観音菩薩、阿弥陀如来、馬頭観音菩薩の三仏(高さ各8.5m))のまわりも修復が必要で、千手観音、馬頭観音は他の場所に移されて阿弥陀如来のみ安置されていた。

通常は9m下から見上げる形で拝むのですが、修復中に限ってすぐそばで如来像の目の高さに立って拝観することができる。お顔の表情がよくわかります。

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三仏堂(金堂)は建物全体が覆われていて、建物の絵は実物大に拡大して作ったもの。

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緑色の金堂の扁額も外されて展示され、そばに立ってみることができるのは修復の間だけ。また、地上7階の高さで修復工事中の様子をみることができるので興味ある方はぜひ訪ねてみるとおもしろいと思う。

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帰りは徒歩で。酒まんじゅうの湯沢屋に立ち寄って隣接の茶寮でお茶しました。酒饅頭をお土産に。

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すんだ水と豊かな自然の湯西川 [日光]

以前からおいしいお豆腐屋さんがあると聞いて気になっていた湯西川に夏休みの最終週にいってきました。暑い日でした。郵便局の前で工事をしている人がいたので降りて行き方を尋ねてみました。中から局長さんがでてきて教えてくれたのですぐにわかりました。

郵便局の先10mほどのところに市営の無料駐車場があるのでそこに車をおいて歩きます。伴久と旅館松屋のところの細い道を入ると橋があり、その湯前橋(ゆぜんばし)の上にでるとすぐ見えますよと教えてくれました。

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昔の風情のままの家が三軒並んだその中央の家が目指すお豆腐屋さんでした。目の前をきれいな川が流れています。

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会津屋さん  座敷に上がって冷やっこをいただきました。とってもおいしいお豆腐でした。   

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会津屋さん前からみた湯前橋。 この奥の方にホテル「伴久」専用のかづら橋がかかっているのがみえます。

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川のほとりにこんな立て看板が残っていました。湯西川は平家落人の里として知られる自然豊かな地域で、平成の大合併で日光市となったところですが、旧栗山村。なつかしい思いがしました。

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行政もここまで手がまわらないのかマンホールも栗山村のものがそのまま残っている。

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メイン通りにあった日光市のマーク。

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このマンホールの近くにあった電話ボックス。いい風景です。

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ここから曲がって橋を渡りました。

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下はかづら橋。湯前橋から見ることはできますが、このかづら橋は「本家 伴久」専用の橋だそうで宿泊客以外は通れないそうです。風情がありますね。

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橋の下を流れる水はきれいに澄んでさらさら流れていました。

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お土産やさんものぞいて帰りは「湯西川水の郷」によってきました。「水の郷」は湯西川ダム建設で水没する地域に、水源地域のシンボル的施設として建設されたもの。源泉かけ流しの温泉浴場、物産、飲食コーナー等整備されています。

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足湯

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大吊り橋

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秋の気配が感じられました。

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お豆腐の会津屋さんで忘れられないお土産があります。豆腐の燻製「深山チーズ」です。

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~800年前より伝わる平家伝来の「燻り豆腐」。昔ながらの製法で地釜でゆっくりと炊き上げた豆乳で作られた堅豆腐を桜のチップでじっくりと燻した~とあります。封をきると香ばしい香りが広がって、チーズの様な食感です。癖になりそうなおいしさ、お薦めのいっぴんです。(もっと黄色みがかっている)。

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なお、湯西川については私もそれで行ってみようと思い立ったのですが、aatyanさんの「これが湯西川の風景」、はなちゃん104Mさんの「陽の差す方へ」で季節の出来ごと等楽しく紹介してくれています。

  

 

 


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