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高野山へお礼参り [四国遍路30年秋]

四国霊場八十八カ所の巡礼、最後は結願の報告とお礼のため高野山に参るのが順序だそうです。

結願所の大窪寺を後にし、宿泊先に向かう途中で鳴門の渦潮の見学ができました。

宿泊は、淡路島の洲本温泉。

11月15日、ホテルの部屋から朝日の上がるのをみる。 ↓


ホテルを8時頃出発し、海峡大橋を休憩を兼ねて見学。

平成10年の完成で、長さ3911m(当初予定は3910mのところ地震により修正された)。高さ298mの二本の支塔で支えられる。下は明石海峡。↓


正午少し前に高野山に到着しました。 バスの中から南大門 ↓


先ず昼食をとってから、奥の院へ参詣。御廟の前で般若心経を唱える。燈篭堂の地下にも入りお参りする。

その後大塔や金剛峰寺等、壇上伽藍の見学。

金剛峰寺 ↓


金剛峰寺の庭園 ↓


大塔と三鈷の松 ↓  三鈷の松の三本の松葉を探してお守りに。


高野山での宿泊は、宿坊・遍照尊院。朝のお勤めに参列しました。

読まれているお経は通常聞いているのとは違って低音の殆ど抑楊のないもので不思議な思いで聞いていました。お経は古儀と新儀があってこの時きいたのは古儀のお経、通常聞いているのは新儀のものと、先達さんがバスの中で比較実演してくれたのは得難い経験でした。

女人堂 ↓  昔高野山は女人禁制であったため、女性はここでお参りした。宿坊を出てからここでお勤めをし帰路につきました。


千里阪急ホテルで昼食(山祝い)、伊丹空港14:30発のJALで羽田へ、19時30分無事帰宅しました。


これで2018年11月12日から16日まで4泊5日の遍路旅は無事終了です。

旅の記録も最低限出来たのでほっとしています。

つたないブログの「四国遍路30年秋」を見て下さった皆様にも感謝です。


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四国遍路結願 [四国遍路30年秋]

四国霊場結願の寺、第88番医王山大窪寺に到着したのは平成30年11月14日14時05分。

大窪寺は養老年間(717~24)行基の開創、後に弘法大師が飴蔵ヶ峰の岩窟で求聞持法を修め、大きな窪の傍に堂宇を建て自ら刻んだ薬師如来を安置した。唐で師の恵果から授かった三国伝来の錫杖を納め結願所となったと伝わる。



真っすぐ本堂前にいき法楽。ここで結願と思うと自然に気が引き締まりました。

本堂 ↓


次に大師堂へとむかいます。

大師堂すぐ横にあるのは「原爆の火」。

広島に原爆が落とされたとき、遠くに住む甥が広島在住の伯父さんを心配して駆け付けたが伯父さんの家は燃えてしまって尋ねる人も見つけることが出来なかった。そこでその人は火を持ち帰り家で絶やさずに守ってきたのを大窪寺に寄託したのがこの「原爆の火」という説明を車中で聞いていました。結願の感動ももちろんありましたが小さな火が静かに燃えているのを実際に目にして、より強い印象をうけました。

「原爆の火」 ↓ 左側に見える屋根は大師堂です。


大師堂での読経も御詠歌もここで最後と思うと感無量、胸が詰まる思いながらも一生懸命お唱えしました。

この結願の日80歳の誕生日を迎えたMさんは今回5回目の遍路。先達さんと共に毎回法螺貝を吹いてくれた。包容力のある法螺貝の音にいつも励まされてきました。

 ↓ 結願の記念集合写真もとって、バスの所へ戻ります。


紅葉が綺麗でした。山門下の売店でお土産等を買う。


Hさん、 ↓ 毎回手作りのガイドブックを作ってきてくれた。


先達さん、添乗員さん、同行の全ての皆さんと家族に感謝の遍路旅でした。

この夜は淡路島のホテルに宿泊し、翌日高野山へお礼に向かいます。


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第87番長尾寺 [四国遍路30年秋]

四国霊場第87番の補陀洛山長尾寺にきました。

天台宗の寺院でご本尊は聖観音菩薩。

大師堂 ↓


度重なる戦乱で焼失した堂宇は江戸時代、藩主松平頼重の帰依をうけ復興し、元和元年(1681)真言宗から天台宗に改宗した。

  本堂と大師堂 ↓ 本堂は頼重が建立したもの。


山門を入ると右手にクスノキの巨木 ↓


仁王門前に左右一対の経幢がある(国重文) ↓


次はいよいよ結願の寺、大窪寺です。

 

バスの中 ↓


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第86番志度寺 [四国遍路30年秋]

四国霊場第86番補陀洛山志度寺。真言宗善通寺派、御本尊は十一面観世音菩薩(国重要文化財。

国要指定の本堂 ↓


境内には様々な植物が自然の風情で植えられている。

五重の塔 ↓

 

重文指定の仁王門 ↓




志度寺の創建は推古33年(626)と伝わり、寺の開基については藤原鎌足の息子、藤原不比等が登場する海女の玉取りの伝説がある。不比等が父鎌足の供養のため奈良の興福寺を建てる際に、唐の高宗皇帝の妃となった妹から三つの宝珠を贈られたが、船が志度の海で難破し三つの宝珠のうち一つが龍神に奪われてしまった。探しに来た不比等は志度の海女と情を通じ房前という男児をもうけた。真相を知った海女は房前を世継ぎとする約束を取り交し海に潜って命と引き換えに龍神から宝珠を取り戻し息絶えた。不比等は海辺に海女の墓と堂宇を建て死渡道場と名付けた。693年(持統7年)行基とともに志度を訪れた房前は、母のために伽藍を建立し千基の供養塔を建て寺号を志度寺と改めたという。

現在も本堂の左奥に「海女の墓」があり、石塔が20基ほど並んでいる。バスの駐車場の所からもすぐ。




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第85番八栗寺 [四国遍路30年秋]

四国霊場第85番五剣山八栗寺(やくりじ)真言宗大覚寺派でご本尊は聖観世音菩薩。

ここは第3日目の朝一番に参拝したところ。ホテルを7:50発、8:15のケーブルカーで上る。本堂の左側1677年に木食以空上人が東福門院から賜った大師作の歓喜天を祀る聖天堂が建っている。華やかな美しい建物で、八栗のお聖天さんとして信仰されている。


   ↓ 大師堂。 8時50分ころ。 

 

9:15発のケーブルカーで下って、次の第86番志度寺に向かった。

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