初春 日光二社一寺に参拝(その2) 東照宮 [旅行、趣味]
日光東照宮は徳川家康公の遺言により、元和2年(1616)4月17日に薨去するや直ちに久能山に埋葬され一年後に日光へ改葬の遺命に従って社殿の造営が行われて、一周忌にあたる同3年4月17日に二代将軍秀忠社参のもと、「東照社」として正遷宮された家康公の神廟所です。
創建からおよそ20年後の寛永11年(1634)に三代家光の命により造替工事が始まり、1636年4月17日に家光社参のもと正遷宮の運び、その後も補足工事や周辺整備工事が続けられ、寛永20年頃に至って現在の境内景観の構成が出来上がった。この造替は伊勢神宮等にみられる式年遷宮制度に倣ったものであったが、従来からの社殿形式を厳守して造り替えるのとは異なり、創建時の規模や様式等を一新する大規模なものであった。正保2年(1645)、宮号宣下により「東照社」改め「東照宮」となりました。
大きな石の鳥居をくぐっていくと左側に五重の塔があります。高さ34.3メートル。
仁王門を入ていくと三神庫がある。春秋2回「百物揃千人武者行列」が行われますが、その時に使用する道具・衣装等一式が納められている。
神厩舎。神は馬に乗る、猿は馬を守るといわれることから、猿の彫刻で飾ってある。有名な三猿の彫刻はここにあります。
国宝の陽明門は、江戸文化の粋をあつめて、豪華精巧を極め、終日眺めても飽きぬということで、一名「日暮門」とよばれています。
門の名は朝廷から賜ったもので正面軒唐破風下の「東照大権現」の額は、後水尾天皇の宸筆。
彫刻の数は508。豪華な彫刻群で飾られている。唐子の彫刻、中央に人の命の尊さを教える場面があります。子供達が遊んでいるうちに一人が水甕の中に落ちてしまった、この子供を助けるのに他の子はどうしたでしょうか。北宋の話です。
柱の1本は、逆さ柱です。 完成させない=崩壊ははじまらないとの考え方があります。
手水舎
奥の社に通ずる回廊潜門の蟇脵にある「眠り猫」の彫刻。
この後ろ側には雀の絵があります。眠っている猫=鼠がいない。猫が寝ていれば雀も安心して遊べる。 このことは平和を意味しているのだそうです。
雀の絵側からみた潜門。この門をとおって奥の社にいたります。
陽明門をはじめ豪華な多くの彫刻ですが、この中には悪い夢を食べるというバクや拝殿には命あるものを食料にしない麒麟、霊泉の水しか飲まないというハクタクの彫刻があり、ハクタクや麒麟が姿を見せるような平和な政治をみせようという強い意思がある。眠り猫も平和を表し、バクは戦争のない平和な時に生きる軍神のシンボルでもあったという話を昔きいたことがあります。
陽明門を再び眺めながら階段を下りると右手に「鳴龍」の天井画の薬師堂があります。その前にある鼓楼。
帰途、東照宮を背にして表参道の様子です。
ところで、この門の先が陽明門ですが、陽明門の中央、真上に北極星が見えるのだそうです。
日光は江戸の真北の方角にあたります。はじめ家康公は久能山に埋葬されました。久能山は富士山の南南西、日光は富士山から北北東の方角です。家康公は久能山で神になり不死をこえて永遠の地、日光から平和な世の中を見守るということでしょう。
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次回は、日光二荒山神社を紹介するつもりです。
写真を見てると 日光に行きたくなっちゃいます。
by ぴーすけ君 (2011-01-06 06:48)
ここの細工は何度見ても素晴らしいですね。
久しぶりに日光に行きたくなりました。
by citron (2011-01-06 09:22)
こんばんは
一つ一つに色んな意味を持つ
素晴らしい建造物ですよね^^
ゆっ~くりと訪ねてみたいところです^^
by まりっぺ (2011-01-07 20:31)