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瑠璃光山医王寺 [おくのほそ道]

福島のおくのほそ道めぐり、おしまいは飯坂の佐藤庄司の旧跡、医王寺です。

佐藤庄司とは佐藤元治のこと、奥州藤原秀衡の郎党で信夫郡、伊達郡を管理する職にあった。2人の息子は義経の家来となった継信、忠信で、継信は屋島の合戦で義経の身代わりになり戦死、忠信は義経が吉野山に隠れ、山僧に攻められた時義経の身代わりとなって奮戦、翌年京都で絶対絶命の危機に義経拝顔の刀で自刃した。この兄弟のことは謡曲や浄瑠璃で語られ後には歌舞伎の「義経千本桜」の演目になっている。

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山門をくぐると右手に本堂、左手に鐘楼があって

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参道を奥に進んでいくと薬師堂です。小雨に煙った姿が美しかったです。ここは鯖野の薬師として厚く信仰されているようですがお堂の欄干に石に穴を穿った札がたくさんさがっていました。どうも無断でおいていくらしい。か細い木の欄干が壊れてしまうだろうに自分勝手な人がいるものです。

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御堂の前、右手に継信、忠信兄弟の、御堂の後ろには元治夫妻の、など佐藤一族のお墓があります。

本堂の前の芭蕉の句碑  笈も太刀も五月にかざれ紙幟

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栃木県・那須の遊行柳、福島に入って白河の関、乙字ヶ滝、医王寺、文知摺観音と2日間おくのほそ道ゆかりの場所を巡ってきました。友人はスケッチを私は短歌をつくりながら。作った短歌はNHK短歌講座のリポートで提出しました。たくさん添削されて返ってくるでしょうがどんな評をいただけるかそれも楽しみです。

 

 


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文知摺観音 [おくのほそ道]

文知摺観音の境内入口右手に芭蕉像が建っていて、受付を通りすぎると

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正面に変った形の文字を掘った石碑があって、その右上の方に芭蕉の句碑、

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苔むした文知摺り石は反対側に静かに存在してました。かなり大きな石。

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(石の伝説)陸奥の国按察使として下った源融公との再会を祈願する虎女はもじずり観音に百日詣りの願をかけ満願の日を迎えましたが都からは何の便りもありません。嘆き悲しんだ虎女がふと見ると文知ずり石の面に公の顔が彷彿と浮かんで見えました。懐かしさのあまり駆け寄るとそれは一瞬にしてかき消えてしまって、虎女はついに病の床についてしまいました。 みちのくの忍ぶもじずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくにの歌が都から届いたのはちょうどその時であった、というようなことが書いてあります。

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その河原左大臣源融の歌碑

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境内はモミジの緑に覆われていて紅葉時期は見事な景色が想像されます。

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下は観音堂

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境内には沢庵和尚の歌碑や正岡子規の句碑などもあって多くの文人が訪れているようです。

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「おくの細道」では意中の人の姿があらわれるという虎女の伝説にあやかろうと麦畑をあらされるのを嫌って石をこの谷に落としてしまったから石の表面が下になってしまったとあって、早苗とる手もとや昔しのぶ摺りと詠んで虎女伝説の風雅を忍んでいるようです。


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乙字ヶ滝 [おくのほそ道]

阿武隈高原道路終点の玉川ICでおりて10分ほどで乙字ヶ滝につきました。024.JPG

阿武隈川の乙字が滝は古くは竜崎滝、石川滝と称されていて川幅は100m、巨岩が横に連なり乙字の形をなす。川の中央を玉川村と須賀川市の境界とすると。昔は海から遡上する鮭、鱒、鮎等がこの滝を超え一日に多いときは1000尾を超える収穫があり漁民の収入になった。初漁は白河藩主に献上することとされ藩の役人が番署を置き看視し、竜崎村がその賄い等負担したので他の税は免除されたとのことです。

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日本の滝100選にも選ばれていて、小ナイアガラともいわれるとか。激しい滝の音と涼しい風が印象的でした。

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小さな不動堂があって

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そばには芭蕉の句碑等

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五月雨の瀧降りうずむ水かさ哉

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一日目の予定はこれで終了し猪苗代のホテルに宿泊しました。


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白河の関 [おくのほそ道]

奥の細道の福島県の旅、最初に訪ねたのは白河の関です。

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白河の関の位置はずっと不明であったが江戸時代後期に白河藩主の松平定信の考証によりこの地が関跡であると断定され寛政12年(1800年)「古関蹟」の碑(下記)が建てられました。  

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現在関跡は白河神社の境内になっていて、細い急な石段を登っていくと 

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社殿があります。伊達政宗により改築されたとのことで屋根には伊達家の紋があります。

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その横に古歌碑が建っています。白河の関は7~8世紀には存在し蝦夷の南下や人、物の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられるが、後にその機能を失ってからも「歌枕」として都人のあこがれの地となっていた。 碑には ・便りあらばいかで都へつげやらむ今日白河の関は越えぬと(平兼盛)

都をば霞と共にたちしかど秋風ぞふく白河の関(能因法師)

秋風に草木の露をはらわせて君が越ゆれば関守もなし(梶原景季・君は頼朝のこと) 

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白河の関は古代の防御施設、空掘や土塁跡が残っています。

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春にはカタクリの群生が見られる散策路には奥の細道の碑があります。

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下は西山国師證空上人の歌碑。昨年西山国師が眠る京都の三鈷寺を訪ねたばかりだったので懐かしい思いがしました。證空上人は1229年頃蓮生上人(宇都宮5代城主頼綱)らをおともに関東を游化(伝道旅行)しています。白河の関を越え奥州へと向かう途中で、證空上人は蓮生上人に白河の関はどのあたりなのですかとお尋ねになったところ蓮生上人がただ今通り過ぎた所が白河の関ですと答えられたときに光台に見しか見しかは見ざりしを聞きてぞ見つる白河の関と詠んだ和歌です。

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樹齢800年といわれる大きな杉や

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義経が旗をたてたという桜  など

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昔の文人、武人の足跡を伝えるものがいろいろあって、友人がスケッチをしている間、なにかいい短歌でもできまいかと思いながら散策をしていましたが、なかなか楽しい時間でした。

近くでお蕎麦の昼食をとって、次の目的地乙字の滝へと向かいました。

 


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遊行柳 [おくのほそ道]

とても素敵な絵をかく友人がいて、「奥の細道」をテーマとして福島方面にスケッチ旅行にいくというので私もついていきました。国道294号線沿い、栃木県那須町芦野というところに「遊行柳」があります。

芭蕉の  田一枚植ゑて立去る柳かな の柳です。

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西行の 道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそたちとまりつれ  の西行ゆかりの柳。早乙女たちが一枚の田を植え終わる時間の経過を述べて、西行ゆかりの柳を立ち去る名残り惜しさを詠んだ(~久富哲夫・写真で歩く奥の細道より抜粋~)

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芭蕉の句碑

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294号線は通ることがあっても田んぼの中に柳があるだけでなんということないといわれて実際に立ち寄ることもなく走りながら眺めていたものでしたが今回は「奥の細道」を訪ねてなんてたいそうなテーマで出かけたものですからちゃんと寄ってみることにしました。確かに柳があるだけではありますが、西行も芭蕉もゆかりの柳と思えばなんとなく立ち去りがたい気もするものです。

このあと栃木・福島の県境の「境の明神」前を通り、白河の関へと向かいました。


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