文知摺観音 [おくのほそ道]
文知摺観音の境内入口右手に芭蕉像が建っていて、受付を通りすぎると
正面に変った形の文字を掘った石碑があって、その右上の方に芭蕉の句碑、
苔むした文知摺り石は反対側に静かに存在してました。かなり大きな石。
(石の伝説)陸奥の国按察使として下った源融公との再会を祈願する虎女はもじずり観音に百日詣りの願をかけ満願の日を迎えましたが都からは何の便りもありません。嘆き悲しんだ虎女がふと見ると文知ずり石の面に公の顔が彷彿と浮かんで見えました。懐かしさのあまり駆け寄るとそれは一瞬にしてかき消えてしまって、虎女はついに病の床についてしまいました。 みちのくの忍ぶもじずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくにの歌が都から届いたのはちょうどその時であった、というようなことが書いてあります。
その河原左大臣源融の歌碑
境内はモミジの緑に覆われていて紅葉時期は見事な景色が想像されます。
下は観音堂
境内には沢庵和尚の歌碑や正岡子規の句碑などもあって多くの文人が訪れているようです。
「おくの細道」では意中の人の姿があらわれるという虎女の伝説にあやかろうと麦畑をあらされるのを嫌って石をこの谷に落としてしまったから石の表面が下になってしまったとあって、早苗とる手もとや昔しのぶ摺りと詠んで虎女伝説の風雅を忍んでいるようです。
源融なる人物について、思わずググってしまいました。
Wikiによると・・・源氏物語の主人公である、光源氏の実在モデルの一人とか。
当時の都から見たら、奥州、平泉あたりがみちのくの北限であったのでしょうから。。
更に北である陸奥は、現在の感覚で言っても、まさに地の果てです。
今生の別れとあって、病床に臥してもおかしくない状況が想像されました。
雨上がりなのでしょうか。
シットリとした緑がとても鮮やかです。
紅葉の時期も心静かに、当時の人々への思いをはせそうな場所に思います。
by hana2013 (2013-08-22 23:27)
左大臣の歌は百人一首にあったように記憶しています^^)☆
by 獏 (2013-08-23 05:12)
歴史には疎い爺ですが、ここも尋ねてみたくなる素敵な佇まいと素晴らしい歴史のある所なんですね。本当にいろんな所を旅されてますね。
by 旅爺さん (2013-08-23 05:34)
もうどこかのお店とかですれ違ってるかもしれませんね。
何となくキョロキョロしてしまいます。笑。 今日はどちらへ?
by 旅爺さん (2013-08-24 06:29)