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田川の橋を歩いてみる② 幸橋  [宇都宮]

上河原通りにかかる「幸橋」は、江戸時代初期に架けられたれ歴史ある橋です。明治14年、明治天皇の御巡行を記念して上河原橋から幸橋へと名前が変わりました。

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長さ45.4m、幅24.2m。 昭和48年(1973)完成。

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「さいわいばし」から宮の橋方面をみたところ。

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 橋の中ほどにある道路標識。上河原通りを通行止めにして、毎年1月11日に初市が開催されます。

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『初市風景 : 宇都宮市場は、古くから上河原にありました。江戸時代、奥州大名の参勤交代の通行に支障があるとして寛永11年(1635)より年1回の初市に限ってこの地で催すことになり現在に至っています。』

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『川涼み風景 ; 田川のこの付近は、江戸時代の名所、六河原の一つ「上河原」に位置し、蛍の名所でした。昭和の初期までは。貸し船を使ってのんびりと夏の夜の川涼みを楽しむことができました。』

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『梵天祭 ; 田川は、古来から洪水により数多くの水害が発生しました。昭和30年ごろまでは、夏になると水神様に対する信仰と感謝から、人々が梵天をかつぎ裸で川に入り、もみ渡る光景が見られました。』

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『幸橋遠景 ; 幸橋は、江戸時代初期(1661年)に架けられ、田川筋でも旭橋(押切橋)に次ぎ歴史のある橋です。明治14年(1881年)明治天皇御巡幸の際、上河原橋を御渡歩後に幸橋と改称されました。』

橋の東側、少し入った所にに「興禅寺大門跡」の碑があります。

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さらに東の方上河原通りの奥州街道のつきあたりに大谷石造りの旧篠原邸。国指定重要文化財で江戸~明治時代の石蔵建物です。

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幸橋を西側に渡り数m先に小さな鳥居がみえます。鳥居の前の石柱に樋爪氏の墓とあります。

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『宇都宮市指定の有形文化財(昭和33年7月21日指定); ここ三峰山神社の中の二つの五輪塔は文治5年(1189年)源頼朝が奥州の藤原氏一族を攻めた時、祈願成就のお礼の生贄として二荒山神社に献納された、桶爪俊衡と弟との季衡の墓と伝えられている。云々・・・』とある。

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次は東橋へと向かいます。

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田川の右岸に見えるこの水門は昭和58年完成の下水道。この以前、市の中心部を流れる釜川は流域の急激な都市化により集中豪雨や台風の度に氾濫し大きな被害をもたらしてきた。これを解消するために二つの大改修工事が行われました。

その一つは全国初の川床を二層構造として水量を調節する(釜川の西田橋~今小路橋の約1.9㎞)。

もう一つが地下に水路を埋設して田川へと注ぐ工事です。競輪場通りと県庁前通りに沿って地下に巨大な水路が埋設されています。025バイパス説明板.JPG


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