堀米の田楽舞 [宇都宮]
宇都宮二荒山神社で田楽舞が奉納されるというので見てきました。
田楽舞は豊作を祈る農耕儀礼として平安時代に始まり、鎌倉・室町時代には見せるための芸能に変わり、神社の祭礼行事などに組み込まれて全国で伝承されています。
堀米の田楽舞の由来は天喜5年(1057)源頼義・義家が奥州の安倍氏追討の途中、二荒山神社に戦勝を祈願し、乱を平定し凱旋のおり、田楽舞を奉納して祈願成就にむくいたのが始まりと言われています。源頼朝が二荒山神社の神領として7500石を寄進し、そのうち18石を田楽舞奉納者が賜ったといいます。
また、現在の田楽舞は、文化年間のころ、旅芸人が日光で演じたものを模倣し、それを二荒山神社の御神領であった宇都宮市関掘町の堀米地区の農家6軒に伝授されたもので、この6軒により代々継承されてきたものだと言われています。
夏の始め、五穀豊穣を祈念する祭がおこなわれるようになり田楽舞が取り入れられ、田舞祭をおこなわれるようになったと思われています。
単調な低い声で念仏のように聞こえる歌ですが、その歌詞は次のようなものです。
1番 国も栄えて 民も豊かに 治まる御代の ためしには
2番 池のみぎはに 鶴と亀 よろず代(よ)までも 限りなき
3番 千代も経なまし 姫小松 君の恵みぞ ありがたや
堀米の田楽舞は毎年12月15日と1月15日のオタリアと5月15日の田舞祭に上記の6軒により奉納されています。
田楽舞では、拝殿の前中央に、約1.5mの竹の棒に横木を十文字に通した踏掛(ふんがけ)を置き、右手にささらを持つ二人、左手に銅拍子と鞨鼓(かっこ)を持つ二人が向かい合い、中央に踊り手のささらと柄太鼓が並びます。歌にあわせ、腰をかがめる田植えの様子や、土手に見立てた竹の踏掛に足をかけて休めるしぐさをユーモラスな踊りで表現します。2分あまりの短い踊りです。
田楽舞で使用される衣装や小道具は、二荒山神社で所有、管理されています。
堀米の田楽舞に関しては、当日会場で配布されていた「宇都宮の伝統文化 二荒山神社の祭礼」著作;宇都宮市教育委員会(宇都宮市旭1丁目1番5号宇都宮市教育委員会文化課028-632-2764)より抜粋させていただきました。
二荒山神社でこんなことを行っているのですね
私は見たことありません
by tochi (2015-05-16 21:31)
おはよう御座います。
宇都宮に居た事もあるのに二荒山神社で田楽舞があるのは知りませんでした。神社の周りに田んぼは無いので考えもしませんでした。
素朴な感じの踊りのようですね。
by 旅爺さん (2015-05-17 05:31)
ご訪問いただきありがとうございました。
日本には色々な神事があって歴史を感じます。
知らないことも多く勉強になります。
by せつこ (2015-05-17 08:14)
堀米というので佐野かと思いましたが、ココだったんですね(汗)
わたくしもこのような神事を知りませんでしたが、6軒の農家で代々続けてきた五穀豊穣への祈念、伝わってきました。
by me-co (2015-05-17 11:53)
宇都宮で生まれて育ったはずなんですが・・・知らなかった。
by mk_papanero (2015-05-17 12:02)
私は以前に冬渡祭で見たことがありました。オタリアの時は下の宮であるのですが大勢の人垣で見られなかったので今度出かけて見たのですがよくわかって面白いと思いました。
by れもん (2015-05-17 19:41)
田楽舞は最近では珍しいですね、農村も人手が無くて行われないところが多いそうですね。
by 馬爺 (2015-05-18 20:34)