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施餓鬼会に参列して [神社仏閣]

宇都宮市今泉町の臨済宗妙心寺派寺院~河北禅林 神護山興禅寺での施餓鬼会に参列しました。



法要は2時から。実家の方で参列する予定ですが、御住職のお話も聴きたいと思い出かけてみました。少し早く着いたので、普段は近くで拝観出来ないから御本尊の直ぐ前にいってお詣りして、位牌が並べ置かれた室内に入って家の位牌にも対面してから静かに待ちました。

興禅寺の御本尊は、木造釈迦如来座像。門前の案内書に~像高は約90㎝、木造寄木造で玉眼。目をやや細め、わずかに首を前に傾けている。南北朝時代の作であるが彫りが深く鋭い等鎌倉彫刻のよさを残している。仏像の底面に北朝の年号「文和二年(1353)」と作者名「院吉、院広、院遵」が刻まれている。~とあります。

1時20分から御住職の法話。施餓鬼会の意味を聞いて、それから、毎日の生活で良いことも悪いことも順番に巡ってくるものであるがあまり良いとか悪いとかこだわらないで、あの世に帰っていく時まで一生懸命に生きましょう。何かあったときはご先祖様が、あるいはおてんとう様が、ののさま~仏様~が見てくれていると思えば自ずから処し方がわかるのではというようなお話だったか。法要は1時間程で終わり、卒塔婆とお寺からのお供物をいただいてこれからお墓にいく兄達と別れ帰って来ました。実家の宗旨は臨済宗なのに最近巡礼会に参加して高野山や多気山等真言宗に浮気しているようでどちらにも申し訳が立たないような気持ちがあったのですが、久しぶりに家のお寺での法要に参列しほっとしました。

興禅寺は、宇都宮8代城主貞綱が宇都宮に初めて禅寺を開いたことから法名を興禅寺殿といいこれを寺名としている。9代公綱は楠木正成との戦い等で坂東武者の名をたかからしめ、その子の氏綱は戦の中で宇都宮氏を守ろうと戦ったが病で亡くなった。豊臣秀吉により宇都宮氏がとりつぶされた時、興禅寺も宇都宮ゆかりということで取り壊され、小さなお堂が一つ残っていただけであったのが、徳川の時代になり奥平氏の助力で復興し、後に江戸浄瑠璃坂の仇討ちの発端となった事件が起きた場所という歴史ももっているお寺です。






 


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