SSブログ

桜町陣屋跡 [真岡市]

高田山専修寺に行く途中、二宮尊徳が26年間在陣した桜町陣屋跡を訪ねました。

↓  隣の二宮尊徳資料館でもらった資料から

二宮金次郎(尊徳)は小田原に生れ、小田原藩家老家の財政復興を成功させた手腕をかわれ、小田原藩大久保家の分家である宇津家の知行地の桜町陣屋に家族とともに移転してきました(1823)。

陣屋内には役所の建物のほかに倉庫や牢屋、役人の家族の住居があったといわれているが、このうち、役所の建物一棟が現在まで残っています。

宇津家が分家した1698年(元禄11)当初の桜町領は石高4000石余(収納米3000俵)戸数は433軒だったといわれているが、金次郎が赴任した時には収納米900俵余、戸数は156軒まで減少し、田畑も荒れ果てていた。金次郎は領内の事情を把握するため毎日領内を隅々まで見て回り、村人の生産意欲を高めるため表彰制度を取り入れたり(農業に熱心な者に鍬や鎌を与えるなど)、無利息の貸付制度を設けたりした。金次郎が復興をはじめてから10年目の1831年(天保2)桜町領の年貢米は1894俵に達することとなった。

1833年(天保4)のこと、宇都宮で茄子を食べた金次郎は初夏だというのに秋茄子の味がすることに驚き、田畑の様子を見て飢饉が起こると予想し、村民に冷害に強いヒエやイモ類を大量に作らせこれに備えました。東北、関東地方を中心に死者10万人以上を出した天保の大飢饉がはじまりますが、桜町からは死者が一人もでませんでした。

桜町領の復興に成功した金次郎は1842年(天保13)幕府に取りたてられ、士分を与えられ、この頃から尊徳と用いるようになりました。


すぐ隣に二宮尊徳資料館と、尊徳を祀った桜町二宮神社があります。



(4月3日) 桜が満開でした。




nice!(23)  コメント(5)  トラックバック(0) 

nice! 23

コメント 5

tochi

先日、高田山専修寺に行ってきましたよ
綺麗なところですね
ここもよろうと思いましたが時間がなくいけませんでした
後日行ってきます
by tochi (2016-04-09 07:25) 

れもん

tochiさん 報徳田の田植が終わった後がいいかもしれませんよ。
by れもん (2016-04-09 17:54) 

hana2016

尊徳が二宮に住んでいた。この地名もそこからという事は知っていたものの、26年間もでしたか。
道の駅二宮、それからすぐ近くの真岡鉄道の駅へは何度か足を運びましたが・・・こちらは初めて知りました♪
by hana2016 (2016-04-09 22:53) 

旅爺さん

おはよう御座います。
爺も桜町陣屋跡や二宮神社には行った事があります。
二宮尊徳一家のお墓にもお参りして来ましたよ。
昔二宮町の神社に何度かギンナン拾いに行った事があるんです。
by 旅爺さん (2016-04-10 05:30) 

旅爺さん

おはよう御座います。
日光街道を今市までの桜は綺麗な所がありますね。
リンゴの花も咲いたかな? 爺は旅に出ます、帰ったら記事にしますね。

by 旅爺さん (2016-04-12 08:25) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。