(休憩中)二荒山神社 境内をゆっくり散策してみる [宇都宮]
(二荒山神社で休憩中なので) 以前の記事ですが少し直して・・境内の案内を・・。
1月15日(火)は春渡祭(おたりあ)があります。正月のお飾り等をお焚き上げしてもらいます。この日に火ぶせのお札をいただいてきます。朝から大勢の人で賑わいます。
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宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)の大鳥居。これは白木のまま。最近、防腐のための手当をしたとのことで茶色になっています。昔の絵を見ると赤い鳥居で華やかな感じがします。
(階段は95段あります)
境内です。
手水舎。天明五巳年と枝源五郎という文字がみえます。ここからも近いところ、宇都宮で一番早く咲く桜で知られる慈光寺の赤門を市民から浄財を募って寄進した人です。
こちらは、御神楽を奉納するときの神楽殿。二荒山神社の神楽の起源は江戸時代の中頃と伝えられて、神社では宮比流太々神楽と称している。舞は、1月28日、5月28日、9月28日の3回奉納され、岩戸の舞や稲荷の舞など18演目あり、舞面は40面あり、「明治4年高田運春」の銘などがあるとのこと。
神楽殿に向かって左側には、川柳の前田雀郎句碑があります。
その前には神馬像がありますが、そのそばの大きな銀杏のそばにおもしろい碑があります。
読んでみると、「精子の動きの撮影に成功したイチョウ このイチョウは樹齢300年の雌株である。イチョウは精子を作って受精するが、その精子は1896年東大助手平瀬作五郎氏によって初めて発見された。しかし、精子の姿は映画には勿論、写真にすら撮られていない。この木は1972年高校教諭松本正臣、斎藤長重両氏が研究の末そのギンナンによって動く精子の姿を世界ではじめて映画にとらえることに成功したイチョウである。二荒山神社」とあります。
本殿拝殿の東側奥の方に、末社があります。須賀神社、市神社です。
須賀神社(お天王さん)御祭神 すさのおのみこと 例祭日6月15日 夏祭〈天王祭)7月15日~20日
市神社 (商売の神)御祭神 大市姫命 例祭日6月15日 初市祭1月11日(上河原)花市祭2月1日
狛犬の表情がユニークです。
拝殿西の方にまわると女体宮。
初辰稲荷神社。 右に見えるのは宇都宮七名水の一つ。
西参道には、蒲生君平(前方後円墳の言葉をつくった)の顕彰碑があります。
この碑の後ろにおたりあ堂。
階段下の案内に「12月15日は冬の神、1月15日は春の神として氏神様がこのおたりあ堂にお出ましになり、田楽をご覧になり、その後、氏子内を巡られる「おたりあ」にとって重要なところです」とある。
田楽は、おたりあ祭のときに下之宮で見たことがありますが独特の節にあわせた舞で、ある地区の6軒の家の世襲で伝えられているといいます。下はおたりあ祭のときの田楽を舞う人達です(一昨年)。
本殿正面に戻り、少し休憩。
神門
階段を下りていく。階段の左右に末社があります。手前から、剣の宮、十二社、菅原神社です。
一番奥に針供養の碑
階段左側には手前から、松尾神社(お酒の神)、荒神社(疫病鎮めの神)、水神社。
後ろの石垣は江戸末期の石垣だそうです。
神社に併設して二荒山会館があり、結婚式場等に利用されていますが、神社階段の下から左手の方にあがっていく細いなだらかな道が新しく整備されていました。女坂というそうですが、この道を上っていくと会館の下に、宰鳥(蕪村)句碑というのがあります。
蕪村は寛保3年(1743)宇都宮の俳人佐藤露鶴を訪れて当地に滞在、翌年正月に蕪村最初の「歳旦帖」を編集発行した。 その中で「鶏は羽にはつねをうつの宮柱」 と詠んでいる・・・云々。事績を顕彰するためにつくられたものです。
大鳥居をくぐって、大通りを渡ると下之宮があります。こちらが二荒山神社発祥の地ですが、長い歴史の中で丘陵は道路で分断されるなどしてビルの影で奉祀されていました。今はこの地域、相生町開発事業とともに整備され旧聖地に復興されたものです(パルコ西口)。
下野国一之宮 二荒山神社摂社下之宮の記 御祭神は本社と同じ、豊城入彦命です。
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次回は、文学の町再発見②で蒲生君平の顕彰碑をみてから蒲生神社へと向かいます。
時々行くと言うか通過しますが、境内をゆっくり歩いたことありません
by tochi (2013-01-12 08:45)
魅力ある神社で、ゆるりと時間を過ごしてみたいものです。
by yu-papa (2013-01-15 20:18)