文学の町再発見② [宇都宮]
宇都宮二荒山神社に「贈正四位蒲生君平之碑」というものがあります。
蒲生君平は、江戸後期の学者(1768~1831)宇都宮に生れました。歴代天皇の御陵を調査して山稜誌という本を著わし、前方後円墳という言葉を最初に用いた人です。また、北方領域の海防について「不恤緯(ふじゅつい)を著わし幕府に海防の必要を説いたのですが受け入れられませんでした。死後幕末の動乱期に松下村塾から「不恤緯」が出版され、また、「山稜誌」を参考に宇都宮藩が山稜の修復を行い明治維新の成就に影響を与えたといわれます。明治天皇は蒲生君平の著わした書物や事柄が明治維新の大業に功績があったとして、その人となりを天下にしらしめるようとの勅令を出しこれを受けて明治2年勅牲碑が建立されています(宇都宮市花房町に所在)。また明治14年正四位を贈位され、その功績を顕彰しようと全国的に資金募集がはじまり建てられたのがこの記念碑です。君平の功績等が刻まれています。「贈正四位蒲生君平之碑」の篆額は有栖川宮熾仁親王の御染筆、撰文は日本初の文学博士・重野安繹、書は元老院議管・巌谷修によるものです。
参加者がこのような説明をきいているところです。
次に、蒲生君平を祀る蒲生神社に行きました。大正3年君平99年祭執行の際に神社創建の話が起こり「蒲生会」が結成され大正15年7月に本殿が竣工された。このとき神社敷地が栃木県から無償譲与されたのだそうです。
蒲生神社
社務所に温かいストーブを置いて下さってここで少し休憩。初めて「蒲生君平の歌」というのがあることを知りました(講師の小林先生が歌う)。きれいなメロディのさわやかな感じの歌でした。
平成25年は蒲生君平没後200年祭にあたるということで、先日地元下野新聞にも記事がありましたが、記念講演と三奇人シンポジウム、企画展、図書の刊行、絵本製作等が計画されているそうです。
途中、慈光寺の赤門を見ながら、
次に向かったのは宇都宮市立東小学校。ここに蒲生君平坐像があります。君平の像はこの一つしかないのだそうです。(考古学者、歴史学者、政治学者、軍事学者、漢文・国文学者、儒学者、教育者の優れた7つの顔があるというのに。)
・・・この蒲生君平像は、昭和15年塚原久治郎氏(大通り2丁目)が子供5人が無事に東小学校を卒業したお礼に、学校にふさわしい人物をと考え寄贈したものです・・と書いてあります。すごいです。
向かいあってまだ新しい二宮金次郎の像がありました。
最終目的地の興禅寺へ。
浄瑠璃坂の仇討の話や宇都宮の初市の話等以前にも紹介しましたが、宇都宮貞綱の開基で開山は真空妙応禅師(黒羽の雲厳寺から)で臨済宗妙心寺派のお寺です。
山門の扁額「河北禅林」は鎌倉幕府執権北条高時より賜った(その現物は本堂の中に置かれています。)ほどで当時の宇都宮氏の勢力がここでもうかがわれます。
宇都宮氏の菩提所であり、奥平家の菩提所でもありました。
前々住職は石川暮人さんという歌人で下野歌人会の代表でした。若山牧水に師事し下野新聞歌壇選者として県歌壇の発展に尽力、多くの歌人を育てました。〈とこしへにたのみがたなき愛染のわがまのあたり白菊の花 暮人〉
大正9年4月19日下野歌人会の短歌会に牧水が宇都宮にきていますがその時揮毫していただいたもの。〈かんがへてのみはじめたる一合の二合のさけの夏のゆふぐれ 牧水〉
暮人さんと野口雨情は生前交流があった〈山は遠いし野原はひろし 水は流れる雲はゆく 雨情〉
なお、牧水が大正9年4月19日に宇都宮に来てつくった歌は釜川の牧水亭にもあります。枝垂れ桜がきれいな時期に行ってみるとよいです。
参考までに昨年の桜です。
こちらは同じ時の二荒山神社の桜
今回のにしきセミナー「新春の神社仏閣巡り~うつのみや文学の町再発見」楽しかったです。歩いた距離は約6㎞、所要時間は約3時間でした。
宇都宮へ来たら宇都宮ぶらぶらマップを観光案内で手に入れて文学散歩や蒲生君平所縁の場所を訪ねてみて下さい。その後で餃子を食べたり、カクテルを飲みながらジャズを楽しむのもおしゃれだと思います。
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次回は、京都の三鈷寺です。清巌寺開基の宇都宮頼綱、出家して宇都宮蓮生の墓所にまいってきました。
宇都宮にも色々なところがありますね
場所はわかりますが、じっくり見たことありません
by tochi (2013-01-13 09:23)
地元では案外見落としていることが多いですよね。
by れもん (2013-01-13 13:55)
ご無沙汰しています
今年も宜しくお願いします
by ハイマン (2013-01-13 14:37)
ご返事が遅れて申し訳ありません(__)
ご訪問&nice!有り難うございますヽ(^o^)丿
by yu-papa (2013-01-15 20:16)