第21番 太龍寺 途中の舎身が嶽に感激 [旅行、趣味]
ブログタイトル変更しました [旅行、趣味]
2010年5月に西国33札所巡りをきっかけにして始めたブログですが、2016年に一応結願しました。ので、これまでのブログタイトル「西国33札所巡りと旅の楽しみ」をやめて「いちごいちえ」に変更しました。
旅行のことや身近な出来事など日々のいちごいちえを気ままに書いていくことにします。今年最大のマイ・イベントは四国遍路になりそうです。
これからもよろしくお願いします。
自転車 [旅行、趣味]
自転車の後輪がペチャンコになっていた。空気を入れてもシューっと抜けてしまう。
「旅爺さん」のように器用でないから自転車屋さんにもっていった。リムテープが切れてぼろぼろになっていた。別のゴムテープを出してリムにはりつけて、その後空気を入れたチューブを水にくぐらせると・・
細かい泡がぶくぶくと出た。パンクもしていた。リムテープがぼろぼろだとスポークが当たってチューブに穴があくことがあるよと言われる。
おじいさんの自転車屋さんが、昔と変わらないやり方で修理してくれているのをそばで見ていた。こういうのんびりした時間もいいものだと思った。修理代1,000円也。もう10年以上乗っているけれど手入れしながら乗ればまだまだ安心して乗れる、ありがとうございました。
氏家勝山城跡 [旅行、趣味]
さくら市ミュージアムを訪ねました。(荒井寛方記念館で「春の院展 栃木展」が開催されている)。
隣接の勝山城跡を歩いてみました。
大手入口 ↓
勝山城は、鬼怒川の段丘面を天然の要塞にした崖端城で、鎌倉末期頃に築かれてその後。強固な防備が完成し、中世下野における宇都宮氏一族の北方防衛の拠点となった。慶長2年に豊臣秀吉の命による宇都宮氏の改易に伴い廃城となった。
二の丸北郭 ↓
鬼怒川 ↓ 中央の山は羽黒山。快晴なら左に日光連山、右の方に那須連山が見渡せるが。
鬼怒川を見下ろす本丸西側の空掘 ↓
『勝山城は鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長2年(1597)の廃城までおよそ300年の歴史をもっています。現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点ですが、また宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所でした。南北朝期から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっています。その間に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られます。
現在確認されている城域は、南北450m、東西は北辺で325mあり、段丘先端部の本丸を、L字型に二の丸、三の丸が囲む連郭式の縄張り(城の設計をいう)が想定されます。
本丸は、内径で東西80m、南北70mの方形で一周する土塁は本丸内の高さ3~5m、掘底からは7~8mあります。本丸東側の一団広い土塁部分が大手(正面入口)で、掘内に四脚の橋が架けられていました。大手北側の櫓台が張り出し、横矢掛け(侵入する際に横から矢を射る施設)の構造を備えています。南西部の搦め手(裏側入口、通用口)は土塁の折を利用した横矢掛けの施設と橋があります。・・・・』 ↓ 案内書き
二の丸北側の土塁跡をおりていくと鬼怒川岸に下りていける橋があり、釣りやウオーキング等をしている人の姿がありました。
敷地内、ミュージアムのすぐ横に大きな不動明王坐像の展示室がありました。
『栃木県指定文化財 木造 不動明王坐像 1968(昭和43)年3月12日指定 さくら市蔵
1759(宝暦9年) 380×296×275
現存する木造坐像の中で関東最大級の大きさを誇るこの像は装身具の文様等から、光明寺の不動明王を鋳造する時に使った鋳型であることがわかります。一般的に鋳造後は廃棄されてしまう鋳型を現在まで保存・継承しているのは、鋳造史を考える上でも大変貴重です。
また、壊すことを前提としていたため、廃材などを組み合わせて巧みに製作されているのが特徴です。それをしめすように、仏像内の支柱からは使用されていない臍穴も見つかりました。平成12年の大修理の時には、木と木の継ぎ目から墨書も発見されています。この墨書から大きな鋳型を多様な木材で作りあげたことへの難しさが垣間見られます。
さらに、頭部、胸部、腹前、前膊部、膝前、腕の各部分を分離出来るのは、分鋳というパーツ毎に鋳造を行うためのものと推測されています。』
ガラス室内の木造不動明王坐像。 大きい。
帰りに鬼怒川グリーンパークでコスモスを見て来ました。
鬼平江戸処 [旅行、趣味]
東北自動車道(上り)の羽生SAがおもしろいです。
まるで江戸の街が出現したみたいに
時代劇映画でみるような建物が並んで
中に入ると天井はパッと明るい青空。
右手にはてぬぐい等の小物、つくだ煮・漬物等の土産物
左手には葛餅等の食べもの屋、奥の方は食事処となっていて
ここは鬼平江戸処と名付けられた休憩所でした。
池波正太郎の「鬼平犯科帖」のモデルとなった食べもの屋を再現したとのことで軍鶏鍋の五鉄の前は建物の外にまで行列ができていました。
TVで中村吉ヱ衛門の鬼平をよく見ていたしぜひ味を試してみたかった。
ですが混雑していて動くのもままならない状況でした(立ち寄ったのは昨年末のこと)。次の機会の楽しみです。