多気山不動尊 [神社仏閣]
4月に西国札所巡りに参加させてもらった多気山巡礼会の属する真言宗寺院多気山持宝院です。
R293沿い朱塗りの門を入り長い参道を上ります。
山門
狛犬
急な石段が続きます。
本堂
次の日曜日、5月17日に大火渡り祭が行われます。
西方の念仏踊り [神社仏閣]
目的は、踊り念仏を見ること。
西方の踊り念仏 は 正式名称を 一向上人踊躍念仏-ゆやくねんぶつ-といい、開山した一向俊聖上人の命日に僧侶が鉦をならし念仏を唱える行事。
一向派の僧侶は、加行―中心的な修業の前段階で行われる修業―の時に踊躍念仏の修得が義務づけられていた。このため、民間伝承の踊り念仏が長い年月の間に本来の姿から変化しているのに対し、一向派の踊り念仏は700年来の古い形を残している。
導師のほか7名の僧侶が鉦を打ち鳴らしながら念仏を唱え、初めは静かでゆっくりした動きから、だんだん躍動的になり、最後は再びゆっくり終わりました。
ゆっくりした動きのリズムはちょうど能の動きのようであり、躍動的動きは狂言を見ている時のリズム感を覚えて、解説にあった 踊り念仏は民族芸能の原点で、能、狂言、歌舞伎、日本舞踊、風流踊り等は念仏踊りの影響を受けて発展したとのことになるほどと思いました。
明治20年までは時宗一向派でしたが現在は浄土宗の寺院、ご本尊は阿弥陀如来です。
本堂
向拝のあ、うんの獅子の彫刻が見事です。
東高野山 医王寺 [神社仏閣]
3月22日 栃木県鹿沼市北半田の東高野山弥勒院 医王寺(真言宗豊山派。本尊は薬師如来)で仏像特別見学会があったので出かけてきました。
金堂 平成20年着工、平成24年11月に落慶。茅葺の屋根が美しい。堂内には薬師如来と両脇侍像(鎌倉時代13世紀、木造、漆箔・金泥塗・截金、玉眼)が安置されている。それに12神将。
唐門と後方の建物は講堂。
弘法大師堂 堂内には美形の弘法大師坐像(14世紀・鎌倉~南北朝時代)が安置されている。
唐門
講堂 内陣中央に聖徳太子自作の伝承を持つ薬師如来坐像(秘仏)が安置される。
西の間には、康応2年(1390)銘の厨子に安置される弥勒菩薩座像(13世紀・金泥に截金細工が施され美しい。)、この寺で最も古いとされる十一面観音菩薩立像(10世紀)や不動明王(12世紀)など多くの尊像が安置されている。
赤門 と 梅の木の後方は鐘楼
帰りにゆっくり二王像(13世紀)を見てきた。
明治35年の台風で損傷をうけその後破損した状態のまま金堂の須弥檀下に保存されていた。昭和58年から平成元年にかけて保存修理が行われた。
仁王門から境内を見た。
医王寺は日光開山の勝道上人の開創とも伝えられる古刹。今回開催された仏像特別見学会は、金堂大改修落慶にあわせ発行された「医王寺の仏像」からつながる初の試みということでした。医王寺の仏像の製作年代や美術様式を調査考証してきた武蔵野美術大の萩原哉先生の解説があって、仏像のすぐそばでしっかり拝観することができました。
(金堂内の薬師如来坐像)↑
「医王寺の仏像ー特色①数多くの尊像が伝えられている。→北関東の一地方寺院に伝わる尊像の数としては異例なほどに多い。②尊像の種類が多様である。ⅰ薬師如来信仰の寺(講堂秘仏薬師如来、金堂本尊薬師如来及び両脇侍像、十二神将)ⅱ未来仏・弥勒を信仰する寺(弥勒菩薩像)ⅲ真言密教の根本道場(弘法大師像、不動明王像)③さまざまな年代の尊像が伝えられている。④保存状態の良好な尊像が多い。
日光への初詣 [神社仏閣]
大谷川に架かる神橋
神橋の反対側、道路をはさんで(太郎杉のすぐそば)深沙王堂があります。
勝道上人が大谷川をどうしても渡ることができないでいる時、深沙王が現れて二匹の大蛇を放すと橋となり川を渡ることができた。そのおかげで上人は原生林を切り開き男体山の頂上に達することができたとの伝説があって、
案内板 ・・・上人一行を助けた「深沙大王」を蛇王権現として祀っている。深沙大王は「毘沙門天」の化身であり、その昔仏教経典を求めてインドに向かう玄奘を危機から救ったといわれる。橋渡しの神という信仰から「縁結び」、また蛇信仰から「商売繁盛」の信仰もある。現社殿は昭和53年の再建。・・・
勝道上人像の前を通り輪王寺へ。日光山輪王寺は奈良時代末の天平神護2年(766)に勝道上人により開山され、神仏習合の関東の一大霊場として信仰される。金堂(三仏堂)は平成の大修理中。
護摩堂での護摩祈祷まで時間があるのでその間に日光二荒山神社に参拝。
日光二荒山神社拝殿
日光山は明治の神仏分離令により輪王寺・東照宮・二荒山神社に分離された。参道を戻ってきて、
輪王寺護摩殿へ。 御本尊は平安朝の不動明王(五大明王)。
堂内には七福神も祀られていて福運を求める音が賑やかですが、護摩で焚かれる火をみているうちに心が洗われるような気がして音も気にならなくなってきます。
加持祈祷をいただいて帰途に。昼食は金谷ホテルで百年ライスカレーをいただきました。
ホテルのすぐそばにある「星の宮 岩裂神社」へ。・・・勝道上人が岩裂神「明星天子」の御加護を得て日光開山を完遂し得たその神恩報謝から大同4年(809)に創建したと伝えられ日光山最古の社・・・と案内板にあります。社殿は昭和55年に改築された。
日光へは毎年参詣していますが、例年に比べ人出が多い印象でした。外国人の姿も多く市街地も賑やかでうれしい年明けとなりました。
那須 温泉神社 [神社仏閣]
延喜式内温泉神社は、舒明天皇2年(630)創建され、平成22年に創建1380年、那須温泉も開湯1380年を迎えました。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)、配神誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
温泉神社は古来から温泉守護と身体健全、商売繁盛の神として信仰を集めています。
10月8日温泉街の「分湯場」で源泉を汲み上げ境内の見立神社まで運んでご本殿に備え、温泉湧出の恵みに」感謝するとともに、温泉街の発展を祈る湯汲祭・献湯祭がおこなわれます。
社務所
社務所前にあるさざれ石
参道右側に見立神社 ↓
ここは那須温泉を発見し、那須温泉の祖といわれる狩ノ三郎行広を合祀している。
開湯1370年の時の記念碑 ↓ 見立神社の後にたっている。
参道に戻る。 御神木「生きる」と名付けられたミズナラ。
三の鳥居 「奉献 那須与一宗隆 文治弐年(1188)」とあります。
琴平神社 神明宮 山神社
三の鳥居を過ぎ拝殿前の石段左手に立っている芭蕉の句碑。 「湯をむすぶ 誓もおなじ 石清水」 この句碑は、徳川氏の奥御右筆をつとめた江戸後期の書史学者、屋代弘賢の書。
本殿に向かって石段をのぼる
栃木県名木百選 「那須の五葉松」推定樹齢800年
手水舎
本殿の後方に 稲荷神社があります。「九尾稲荷大明神」 ↓
稲荷神社の横を通って殺生石の方へと降りて行くことが出来ます。
手前の赤い点々はお地蔵様
10月9日の地元新聞
境内の前にある白鹿の像 白鹿に矢を射かけて追いかけて行った狩ノ行広が鹿が傷を癒しているのを温泉を発見したといわれている。
その隣の足湯
8日は那須岳の紅葉を見ようとロープウェーまでいきましたが霧がかかって山は見えないので上らずに帰ってきました。明日あたりは大勢の人が訪れていることでしょうねぇ。